ゴルフレッスンレビュー記事

シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』の経歴はこちら!事故の理由・成績もwiki風に紹介

2023年12月12日

こんにちは
やまやんです。

YouTubeの中で常に帽子にマスク、
サングラス姿で登場される真木ロイさん。

この真木ロイさんは、YouTubeで
「シンゴルフ」という
ゴルフチャンネルを運営しています。

そして真木ロイさんは、
40歳と言う遅咲きから「シングルになりたい」
という強い思いを抱き

独学でしかも2年間という短期間で、
ベストスコア92から72を出した
経験を持つ異質な人物です。

真木ロイさんとは一体どんな人物なのか、
他の記事で紹介していますので、
興味がある方は下記のリンクをクリックして下さいね。

真木ロイさんとは一体どんな人物なのか?

経った2年間という短期間で
70台を出す事でも凄いのに、

それを誰からの力も借りないで
独学で成し遂げられたというのは、
誰でも出来る事ではありません。

そして真木ロイさんは独学では、
今以上の上達は見込めないと判断し、

クララ先生という愛称で親しまれている
倉持雅樹さんを師匠として迎えます。

ですがこのクララ先生こと倉持雅樹さんって、
どこのレッスンプロなのか?

ちょっと疑問に感じました。

何故ならば、真木ロイさんの
正体が詳しく分からないので

「クララ先生と呼ばれる
倉持雅樹さんってどんな人なんだろう」

と感じてしまったのも理由の1つです。

そこで今回の記事は
シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』さんは何者なのか?
シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』さんの出身地とは

シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』さん経歴の紹介
シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』さんの成績
シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』さん交通事故の理由

などについてまとめてみましたので
是非最後まで読んで下さいね。

シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』とは一体何者なのか?

シンゴルフを観ていて、
私が倉持雅樹さんに対して勝手に抱いた印象は

・倉持雅樹さんが発する言葉に力がある
・言葉に迷いがなく堂々とした立ち振る舞いをされて貫禄がある

このような印象を持ちました。

動画を観ている側としては、
倉持雅樹さんの言葉の太さ

そして発する言葉に迷いがないので、
自然と立ち振る舞いも堂々としています。

やはり教わる側としては
「○○だと思うんですけれど…」
「多分こうしたら良いんじゃないかと思います」

などと弱気な言葉を言われてしまうと
「本当にこの人の言っている事って大丈夫なのかな?」

そう疑ってしまい、
その人から何かを教わろうと思わないですよね?

そういった部分から、倉持雅樹さんは

発する言葉に迷いがなく、
堂々とした立ち振る舞いを観ていると、
説得力がある為、自然と興味が惹かれていきます。

倉持雅樹さんがあれだけ堂々とした
立ち振る舞いで話が出来るという事は、

「ゴルフスイングについてや、
ゴルフ上達に関連する知識が相当深い方」
であるという事が伝わってきます。

しかしながら倉持雅樹さんは、
どうしてこんなにゴルフ理論に詳しいのでしょうか。

倉持雅樹さんが一体どんな人物なのか、
もう少し深堀していきます。

シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』出身地は茨城県坂東市と判明!

まずはシンゴルフに出演され、
クララ先生の愛称で親しまれている
倉持雅樹さんの年齢・プロフィールなどについてを紹介させて頂きます。

氏名:倉持雅樹

生年月日:非公開

出身地:非公開

身長:176センチ

ゴルフ歴:15歳~

ベストスコア:62

ドライバ―平均飛距離:270ヤード

ハンデキャップ:+2.8

倉持雅樹さんの生年月日、
出身地などを調べてきましたが、
正式には出て来ませんでした。

しかし2019年茨城県坂東市の
市民ゴルフ大会で
ベスグロを獲っていたり、

茨城県アマチュアゴルフ大会にも
出場していたそうです。

茨城県坂東市の広報「倉持雅樹さん」の成績はこちらをクリック

こういった部分から、倉持雅樹さんは
「茨城県坂東市」に在住して
おられるのではないかと推測されます。

そして気になる年齢についても
非公開となっていますが、

2023年7月に、シンゴルフ内で公開されている
YouTube動画のサムネイル画像に

「祝50歳クララ先生の軌跡」
と大きな文字で書かれています。

倉持雅樹さんが2023年の7月で
50歳になられたという事は、
「1973年生まれ」とだと推測されますね。

倉持雅樹さんは、茨城県・岩瀬桜川で2回、
オーストラリア・クーラルビンバレーゴルフコースで3回、

計5回もクラブチャンピオンを
獲得されている実績をお持ちです。

クラブチャンピオンとは年に1回、
そのゴルフ場のナンバー1を決める
王者決定戦のような大会。

そのゴルフ場でゴルフが上手い人が集う為、
簡単にクラブチャンピオンになるのは難しい。

それを倉持雅樹さんは5回も
達成されているという実績は、
本当に凄いとしか言いようがありません。

そして倉持雅樹さんのハンデキャップが
+2.8という事は、

大体70台前半、もしくは良い時は60台で
プレーされているという計算になります。

更にベストスコアは62で、
ゴルフのレベルは「神レベル」と言える凄い人。

それだけゴルフが上手ければ、当然ゴルフスイングや
ゴルフ全般に関しての知識も詳しいはずで、
発する言葉や態度に自信が現れて当然でしょうね。

シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』の経歴は15歳で海外へ!

なぜ倉持雅樹さんが、
「ハンデキャップ+2.8と
こんなにゴルフが上手いのか」

その理由や経歴などについて、
私なりに調査してみました。

シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』の師匠はノーマン・フォン・ニダ

倉持雅樹さんは中学卒業を前に、
ゴルフで有名な高校を見学に行き、

当時の片山晋呉、宮本勝昌、横田真一といった、
豪華なメンバーが練習する姿を見て

「このままこの高校に入っては
彼らとの差は埋められない」

そう感じて単身オーストラリアへと渡りました。

しかし、30年以上も前1990年代前半の時代に、
単身でオーストラリアへ渡るとは、
かなりのチャレンジャーですね。

「絶対にプロゴルファーのなるんだ」
という意志の強さが相当高くないと、

まだ15歳の少年が単身で
オーストラリアへ渡るなんて無理です。

あとは1990年代前半当時は今のように、
インタネットが普及されていなかったので、
どうやってオーストラリアで住む所を見つけたのか。

更にはオーストラリアへ行って、
日々生活をしていく上で、
間違いなく莫大な費用がかかるはず。

オーストラリアで生活する為の
資金はどうやって捻出していたのか。

私が思うに倉持雅樹さんの実家が
事業などをされていて、

相当お金持ちだったんだと思いますが、
あくまでも私の憶測なので本当の所は不明です。

倉持雅樹さんはオーストラリアへ行き、
2ヶ月くらい経過した頃、

毎日練習場でボールを打っていた後ろで見ていた
ノーマン・フォン・ニダさんという

70代後半の男性から
『ゴルフを教えようか』と声をかけられます。

実はこのノーマン・フォン・ニダさんは
過去に世界ランキング1位に輝いた事があり
ゴルフ界でも有名なグレッグ・ノーマンの師匠で、

何とグレッグ・ノーマンの
「ノーマン」という苗字は、

師匠のノーマン・フォン・ニダから
授かった苗字だという事。

何とも凄いエピソードですよね。

倉持雅樹さんはノーマン・フォン・ニダさんから
「人に習っただけでは自分のものにならない。
技術や理論は自分で作り上げていくもの」

という教えが根底にあり

「スウィングは自分の体じゃないから知らない。
お前の体だから自分で見つけろ」と言われ

スイングの指導は全くされず、
とにかく頭を使う事、

そしてゴルフに対する
考え方を教わっていたそうです。

ゴルフレッスンと言えば
「バックスイングは体をこう捻るんだ」
「トップの位置はこの辺りにあげる」
「インパクトはこうやって当てるんだ」

そういった指導を連想するのが一般的です。

しかしノーマン・フォン・ニダさんは
倉持雅樹さんに対して、

打つ前にどんなショットを打つのか
必ず言葉にして打たせるように指導していたそうです。

当時15歳の倉持雅樹さんに対し
自分がその状況に対しどうやって攻めていくか。

そして倉持雅樹さん自身に考えさせて、
自分自身でスキルを高める訓練を
させていたという事が分かります。

やはりゴルフというスポーツは
基本的に自分で状況判断をし、
自分の意志でクラブを選択して打っていくスポーツ。

なのでただ表面的にゴルフスイングを
作る事を練習とするのではなく、

自分自身で考えながらボールを打っていくという
ノーマン・フォン・ニダさんの
指導法は素晴らしいと思います。

シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』の成績はタイガーウッズに勝利!

倉持雅樹さんはアメリカで
アマチュアの試合に出場していました。

アメリカの試合は年齢別だったそうで、
倉持雅樹さんが当時17歳、
タイガーウッズが15歳。

タイガーウッズは当時、
同世代では無敵だったので、

飛び級で倉持雅樹さんと同じ
カテゴリーで試合に参加していました。

タイガーウッズは13歳の頃から、
アメリカ全域規模の大会に
出場するほど凄い実力を持っていました。

タイガーウッズは天才的な才能を持っており、
タイガーウッズと同じ試合に出て

なんと倉持雅樹さんが優勝し、
タイガーウッズが2位で終わる試合もあったそうです。

そしてタイガーウッズとプレーオフを9回も行い
そのプレーオフの勝敗は、2勝7敗

倉持雅樹さんはタイガーウッズとの戦績について
当時の2歳差は凄く大きいとおっしゃっていますが、

それでもスーパースターのタイガーウッズに
勝った事があるというのは凄いです。

倉持雅樹さんは、オーストラリア・ニュージーランド・
アメリカの3か国のアマチュアの優勝数は計27勝。

更にアメリカ代表として全英ジュニアにも
出場した経験を持っています。

しかしながら10代の頃に、海外3か国も渡り歩き
競技に出ていた経験を持っているとは、

ゴルフで生計を立てているプロゴルファーでも
あまり聞かないレベルの話。

その行動力とゴルフに対する意識の強さが
まだ10代の少年時代に備わっていた倉持雅樹さん。

自分がゴルフを始めた高校1年生の頃は
友達とカラオケに行ったり、
ゲーセンに行ったりするのが楽しかったので、

倉持雅樹さんがゴルフをやっていた
10代の頃と比較すると、

ゴルフに対する意識のレベルに
開きがありすぎる事が分かります。

倉持雅樹さんはアマチュア時代に
海外の試合に出場し、

世界レベルでゴルフ競技で活躍していた
実績をお持ちであり

ここまでアマチュア時代に世界レベルで
ゴルフ競技に出場していた人を、
私は始めて聞きました。

シンゴルフクララ先生『倉持雅樹』は交通事故に遭ってプロを断念

倉持雅樹さんは日本で
プロゴルファーになる為に
20歳で帰国。

「これから日本でプロゴルファーになって、
ツアーで活躍するんだ」

というった矢先、
倉持雅樹さんの人生を
大きく左右する大事件が起こります。

倉持雅樹さんは交通事故に遭ってしまい
両腕と右足に大怪我を負い、
この時に左手の神経を切ってしまいました。

倉持雅樹さんはこの交通事故で、
左半身に麻痺が残ってしまい

握力は何と8キロくらいになってしまい、
ゴルフの道を断念。

10代の頃に単身でオーストラリア渡り、
タイガーウッズとも戦って実績も兼ね揃え、

「これからプロゴルファーになって活躍するんだ」
と志していたはず。

昨日まで普通に過ごしていたのに、
ある日突然交通事故という災難に巻き込まれ、
一瞬でその希望を経たれてしまった倉持雅樹さん。

当時の心境などは語られていませんが、
言葉では言い現わせれないほど
ショックだったに違いありません。

倉持雅樹さんの手術は計9回を数え、
リハビリに費やした年数はなんと17年。

17年もリハビリを続けるくらいですから
交通事故って本当に恐ろしいですね。

シンゴルフYouTube動画を観ると
倉持雅樹さんが一番最初にシンゴルフに登場し、

自身の経歴などについて語っていますので、
興味がある方は下記の動画をご覧下さい。

まとめ

今回はシンゴルフに登場して
堂々とした立ち振る舞いで話す

「クララ先生と呼ばれている倉持雅樹さんとは
一体何者なのか」という観点から

倉持雅樹さんに関する経歴、
プロフィールなどについてを紹介させて頂きました。

倉持雅樹さんは15歳と言う少年時代に、
単身でオーストラリアに渡りゴルフ修行。

そしてタイガーウッズとプレーオフを9回も行い、
勝った事もある凄い人だという事が分かりました。

そういった実績から、ゴルフに関する知識全般に詳しく
発する言葉や立ち振る舞いに迷いがないのが
動画を通して伝わってきますね。

シンゴルフ内で真木ロイさんとコラボしながら
ゴルフ上達に関する有益な情報を提供して頂き、

これからもゴルフ上達に悩める
多くのアマチュアゴルファーの方を、
手助けしてくれるような活動を楽しみにしています。

そして私は

「シンゴルフチャンネルを運営されている
真木ロイさんとは一体何者なのか?」

という記事も書いていますので、
興味がある方はそちらの記事も読んで見て下さいね。

シンゴルフ真木ロイさんとは一体何者なのか?

更には倉持雅樹さん
通称クララ先生に対する批判コメント、

評判についての記事も書いていますので、
興味がある方はそちらの記事も読んで下さいね。

シンゴルフクララ先生に対する批判コメントについて

今回もブログ記事を読んで頂き、
ありがとうございました。

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